


生駒山と奈良盆地を隔てる低山の連なりが矢田丘陵です。私が住んでいる小瀬町のすぐ裏山で、これまでも度々ハイキングで歩いているのですが、矢田丘陵を1日で踏破したことがないということで昨日、白庭台から法隆寺まで20kmを踏破しました。出発は9:00、近鉄けいはんな線・白庭台駅。駅から10分ほど住宅街の中を歩くと桧窪山登山口へ到着。そこから樹林帯を20分ほどで桧窪山山頂、電波塔の脇を回り込むと饒速日命(にぎはやひみこと)墳墓に至ります。この墳墓は地元の方がきれいに管理されていて、いつもお供えがされています。遥か昔の神話の時代、饒速日命は天照大御神の命を受け、天磐船に乗って河内国と大和国に降り立ったとされています。この場所の北には磐船神社があり、さらに南の矢田町には饒速日命が空から放ったとされる3本の矢が落ちた一矢塚・二矢塚・三矢塚があり、古代神話の世界が今に伝えられている土地であると実感できます。さらにこの付近にはかつて神武天皇と戦ってその東征を阻止したといわれる地方豪族の長髄彦(ながすねひこ)の本拠地の碑があったりと、歴史ファンにとっては想像に事欠かない土地柄なのです。



しばらく森の中を歩くと総合運動公園があり、そこを過ぎて車道脇を行くと再び遊歩道へ。ここからは矢田丘陵遊歩道が整備され快適なハイキング道を歩くことができます。阪奈道路の上を通り抜けると生駒山の眺望が得られ、しばらくすると椚峠(くぬぎとうげ)に出ます。いつも思うのですがこのコースで一番危険な核心部はこの峠ではないかと考えています。

この峠はちょうど生駒市と奈良市の境になり、近くに阪奈道富雄ICがあるので常に車通りが絶えない場所です。しかも信号付きの横断歩道がないため、通行車両が流れに押されて、なかなか歩行者のために止まってくれない時もあるのです。



椚峠を越えたらまた快適な樹林の中の遊歩道となり、細かなアップダウンを繰り返して歩き、竹林が見えてくると榁木峠(むろのきとうげ)に到着します。

この榁木峠は大阪と奈良を結ぶ古道、暗峠越えから伸びている国道308号にある峠です。暗峠もそうですが道幅は極めて狭く、この榁木峠付近では離合に難儀している車をよくみかけます。国道をもじっていわゆる酷道と称されることもありますが、昔は奈良への最短コースとして栄えた街道でした。この道をさらに東に下りると、近年前代未聞の長大な蛇行剣が出土した富雄丸山古墳があります。そのことを考えるともしかしたらこの矢田山一帯にもまだ発掘されていない古墳が眠っているかもしれません(奈良はどこでもそうですが)。






榁木峠を過ぎると遊歩道は矢田山自然の森の中の歩きやすい道になります。矢田山山頂に到着すると休憩所からは東大寺の若草山が遠望でき、1月下旬の山焼きの跡が見られます。櫓のように見えるのは山頂のすぐ先にある展望台。

展望台から眺める生駒山。今日は本当に天気が良く、はっきりと空と稜線が映えて山の姿が際立ちます。




さらに国見山展望台に到着すると奈良盆地の景色が一望。奈良盆地の東縁に連なる山地は昔から青垣山と称されていますが、青垣山系の南端に三輪山、大和川を挟んでその南に音羽山(写真右端)が連なります。



ここでお昼の山ラーメン。家族でハイキングに来た時は、いつもこの景色を見ながらラーメンをすするのが定番となっています。遠く南の山並みの奥には大峰山も見えました。奈良県最高峰・八経ヶ岳もかすかに認めることができました。



今日もサイコー、松尾山(315m)山頂に着くと厄除けの松尾寺はすぐ。松尾寺から昔の参道を下ると、下山場所はゴルフ場となります。



ゴルフ場からしばらく車道を歩くと斑鳩神社に到着。その昔、菅原道真公の子孫が建立した由緒正しい神社です。その境内には道真公を偲ぶように梅の花が咲いていました。



世界遺産、法隆寺に到着。奈良観光は東大寺の方が有名で観光客が多いですが、法隆寺は距離が離れているため、いつもあまり混雑することがなくゆっくりと訪問することができます。この法隆寺がある場所については古代王朝の思惑があるのですが、ここでは長くなるので割愛します。

ゴールのJR法隆寺駅に到着。15時過ぎということで休憩を含めて約6時間の行程となりました。久しぶりの長距離歩行で心地よい疲労感を感じながら帰路につきました。
詳細なルートはヤマップの記録を参照下さい こちら
実際に歩いてみたいという方は3/23(日)矢田丘陵踏破にご参加下さい。なかなかのロングコースですが、変化に富んだ楽しいコースですよ。
山旅ガイドサービス 井上